はじめまして
暑苦しいホームページ、覗きに来てくれてありがとうございます。
3度の飯よりも結婚式が好き、(笑) 川崎友樹子と申します。
小さいころから「ゆっこ」とみんなが呼んでくれるため、そのままyucco weddingと名づけました。
せっかくフリーランスになったので、私らしくありのままでお客様と関わっていきたい。
ぜひ、名前で呼んでくれると嬉しいです。
- 1992年7月29日生まれ AB型 左利き
- 趣味:お花(植物)屋さんに行くこと、花瓶集め
- もらって一番うれしいもの、不動の第一位はお手紙です💌(2位はお花💐)
- 得意なこと:感情を言葉にすること(ホームページ創るの楽しかった〜✌️)
幼少期
振り返ると、いつも私の周りは賑やかだったように思う。
両親はラーメン屋を経営していて、朝早くから夜遅くまで仕事でした。でも、小さい頃の記憶を思い返しても、「寂しかった」という感情が見当たらない。それは、私の周りには常にたくさんの大人や子供たちが居たからだということに、今になって気付きます。
誕生日やお正月、行事があるごとに、我が家には沢山の人間が集っていました。「家族水入らず」という言葉には程遠かったように思います。笑
幼少期、私はその環境が当たり前。と思っていたけど大人になった今、友人や知人、親戚たちと深い関係を築いていたんだなぁと、両親の偉大さを感じます。
私は、家族だけでいる時間よりも(よりもは語弊ある)、沢山の人間が1ヶ所に集い、あーでもない、こーでもないとあちこちで楽しく会話が繰り広げられるあの「陽」の空間がたまらなく好きでした。
母が友達との飲み会や集まりで家を出るときには必ずと言っていいほど「ゆっこも一緒に行っていい?」と交渉するほど。笑
幼い私を連れていくのは大変だったろうな。と今は反省しています。笑
大人たちが何を話しているのかも、なんで笑っているのかも、何について議論しているのかも、きっと分かってなかったはずなのに、1人でゆっくり子供向けのテレビを見るよりも、おもちゃで遊ぶよりも、私はその「陽」の空間にいることがなんだかとっても居心地よく感じていました。
私は結婚式の、みんなが浮かれて飲んで各々が幸せな時間を過ごしているあの「陽」の空間がたまらなく大好きなんですが、思えば小さいころから、感覚は変わってなかったのかもしれません。
結婚式との出会い〜現在まで
高校生になり、アルバイトをしようと求人誌を開きました。ぱらぱらめくりながら「時給いちばん高い!ここにしよう!」そんな理由で決めたバイト先。これが私の全ての始まりでした。
何をするかもよくわからないまま連れてこられたのは結婚式の披露宴会場。会場の扉が開いたときの光景は今でも忘れられません。高い天井、数百名のセッティング、大きなバンケット。数十名のスタッフが総動員で動いていて、「圧巻」の一言でした。
ここから私はweddingの沼にハマっていくのです。笑
この頃からweddingが天職だと思っていた私は、高校卒業後、京都のブライダル専門学校へ。そしてご縁のあった結婚式場へ入社。念願の結婚式の現場で働き始めました。
ここで過ごした時間は私にとって、まさに人生の宝物です。東証一部上場企業(いわば大企業)でスタッフの数も店舗数も多い会社でしたが、その割には好き勝手やらせてもらっていたなと。
昔から正義感。みたいなものは私の中では譲れなくあって、当時の担当上司や支配人とはよく衝突もし、困らせたものです。笑
でも、会社のため、の前にお客様のため。をぶらさずやってきたあの時間は、今の私のウエディングプランナーとしての自信に繋がっていると思っています。
「こんなにも結婚式を愛している人は私以外にはいない」と、私はよく言葉にしますがこれは私が言い始めたことではありません。当時、一緒に働いていた仲間や上司がよく私に言ってくれていた言葉です。私にとって、「かわいい♡」とか「スタイルいいね!」よりも嬉しい褒め言葉です。笑
ゆっこって、ホントに結婚式好きでね。ヲタクやと思う。ってよく言われます。友達からも、会社の人たちからも。(ヲタクって私の中での最上級の褒め言葉な気がしてて嬉しい笑)
最近ふと、私なんでこんなに結婚式が好きなんだろう、って考えたんです。いろいろあるんですけど、多分1番好きなところは【1人では創れないところ】だなって。
新郎新婦さんがいれば成り立つものではない。ゲストがいるからこそ、出来上がる空間がある。
ウエディングプランナーだけじゃ創れない。沢山のクリエイターさんたちが集結するから生まれるものがある。
その空間には、各方面からの、たくさんの信頼とリスペクトがぎゅっっっっと詰まってる。私は結婚式のそこに魅力を感じているんだと思います。
▶︎1人では創れない、誰かの存在や、力が必要、みんなでワンチームとなり1つのものを創り上げる結婚式が好き
フリーランスになることを決断するまで
先ほど申し上げたように私はみんなで1つのものをつくる、団体戦が昔から大好きでした。学生時代や社会人生活、いつの時代を振り返っても私はみんなの中心にいることが多かったように思います。
自分の一言で、私の1つの決断で、それが大成功にも大失敗にもなりうる。重大で責任が重いけどそれ以上に得るものや感じるものがあり、「責任者」という立場は私にとってやりがいでした。
式場を退職してからはしばらく、weddingから離れサービス業でお仕事していました。weddingに携わっていなかったこの期間は今振り返ってもとっても苦しい空白の時間だった。時が止まっているみたいだったし、抜け殻のような、どこか物足りないような、そんな期間でした。
私にとってweddingは天職で、きっとこの先、これ以上に人生を捧げられるものは無いな。とずっと思っていました。でもどうやってまたweddingに携わっていいのかがわからなかった。
高知で結婚式をするなら絶対ここ!と思うくらいには愛情があった前の職場。他の式場で就職、なんてことは私の頭には一切なかったし、燃え尽きた!やりきった!!!と思って退職した職場にUターンする、という選択も考えずらかった。しばらくは足踏みをし、前に進めませんでした。
私の仕事っぷりを知ってくれてる人たちはみんな言うんです。「あんたが結婚式の仕事せんでどうするよ!!」「川崎さんは絶対フリーランスでやるべき」と。でも、フリーランスには、まっっっったく、興味がなかったんです。イメージもできなかった。
やればできるタイプではある、と思ってはいたけど(自分で言うな)、やりたい!!と心躍ることはなかった。なぜなら私は個人戦ではなく団体戦だ好きだから。こう見えて(?)案外、自分のために頑張れない人なんです。この人のために!!って思うほうが、数百倍、力が出るんです。
フリーランスって、孤独、個人戦、1人、のイメージが払拭できなかったので、なかなか進むことが出来なかった。
そんな私にも転機が訪れました。それは3年ほど前、仲の良い友人夫婦との食事の場で、「結婚式どうしようかな~」という話を聞いたときです。
新郎様のご両親がレストランを経営していて、そこでやりたいけど、どうしよう。なにから進めればいいかもわからないし。という2人の想いを聞きました。
私はすぐに「力にならせてほしい。」とプランナーに立候補。フリーランスもレストランウエディングも担当したことないはずなのに、頭の中に不安の文字は浮かび上がらず、ワクワクが支配していました。
0からの打ち合わせ。現場の責任者まで。フリーランスでの初婚礼はとにかくめちゃくちゃ楽しかった!前職でも好き勝手やらせてもらった。と述べましたが、やはり【枠の中】での自由。ではあったから。こんなにも2人のためだけに、全て心から自分がいいと思うものだけを提案できて、提携もしがらみもなくプロデュースできるなんて。そして2人のために、そして「ゆっこのためなら!」と協力してくれたパートナーさん(お花やさんやカメラマン)たち。
孤独、個人戦、1人、だと思っていたフリーランスへのイメージはすぐに払拭され、私がフリーランスという道に目覚めることに、そう時間はかからなかった。
その後は、前職時代の友人からの誘いで2組目の結婚式を施行。その結婚式に出席していたゲストからのご依頼で3組目…と嬉しいご縁が続いています。
「結婚式をする」という概念が薄れてきているこの時代。このままだと、私の生きがい、大好きな場所がなくなってしまう。そんなの絶対に嫌だ!なんとか繋ぎ止めたい…そのためには、結婚式を見て、参加して、自分もやってみたいなと思う人を増やすことしかないと思っています。
そして、自分がやりたい結婚式を新郎新婦様に誠実に提供することで、ふたりのこれからの人生の糧となるような、準備期間も含めた幸せなweddingを体験してもらうことができると確信しています。
この想いが、私を突き動かしているのです。